334-A地区ライオンズ次世代フォーラム2026を開催しました
場所:TKP名古屋カンファレンスセンター
小児がん闘病の壮絶な実態:ある母親の証言
講師:小児がん克服支援・骨髄バンク普及運動
山岡紗恵子
京都から来た山岡紗恵子氏が、3人の男児を育てる母として、3番目の末っ子 コウタが小児がん(白血病)を発症した経験を証言。発覚は今から10年前の2015年、当時3歳。緊急入院先で抗がん剤治療と骨髄移植の日々が始まった。病棟の実相として、ある男児の治療の1週間、カーテンは開くことなく、うなり声、お母さんの弱々しい声、看護師・医師の出入りが続いた。最大限の痛み止めが投与されていても耐え難く、嘔吐の処理は自力で身体をずらせないほどの苦痛の中で行われた。 その治療サイクルの終わりに、回復した高学年の子が語ったのは、薬が入っている2時間の間、経験したことのない頭痛に襲われ、頭の脈が打つたび、プロレスラーにブロック塀へ頭をぶつけられているような痛みで「このまま痛すぎて死んでしまう」と思ったこと。薬剤は1週間の間に1日おきに3回、1回あたり2時間の点滴。治療では数種類の抗がん剤が使われ、それぞれに異なる副作用がある。病変に合わせた薬の組み合わせ・回数は治療データに基づき定められており、今回のサイクルを1週間かけて終えたのち、ひと月かけて体のダメージ回復を待ち、翌月に同じ流れを繰り返す。がん細胞を破壊するには、かくも過酷な治療を耐え続ける必要がある。 病棟では、眼球摘出や手足の切断、放射線治療など外科的処置を伴うケースがあり、保形腫瘍の多くは外科後も再発予防のため致死量ギリギリの抗がん剤治療を何か月も受ける。予測外の合併症が起こり、親子の緊張は極限に。24時間寄り添う親が倒れ、病院内で親の救急搬送が起こることも度々ある。これが小児がん病棟の日常であり、息子が入院していた約1年間に出会った闘病仲間の半数近くはすでに亡くなっているという現実が語られた。 別の母親の証言として、生後半年で脳腫瘍が見つかり治る見込みがないと初めから告げられた「ヨシくん」の話が紹介された。入院生活は痛いこと、しんどいことばかりで、子どもらしいことが一つもできないまま死んでしまうことが何より辛かったという。院内で行われたイベントで初めて見た乗り物に目を輝かせ、夢中で乗り続けるヨシくんに、対応してくれた背広姿の男性の優しさが「神様」にしか見えなかったという母親の言葉は、わずか2歳で旅立った子の写真を見つめる悲痛さと共に、支援の温度がどれほど救いになるかを伝える。 生存への道筋:骨髄移植の決断と家族の葛藤 定められた治療を終えたものの、体からがん細胞を完全排除できず、退院後2か月で再発。再入院は家族の生活を再び引き裂き、兄たちも大きなショックを受けた。コウタには骨髄移植しか生き残る道がなく、兄たちとの適合せず、バンクからもドナーが見つからず、準備は困難を極めた。医師の説明は「最善」とされる条件が結果的に塞がれていく告知の連続にも感じられ、助かる可能性が奪われていく時間だった。 山岡氏は、移植前夜に、自身の父(コウタの祖父)の写真を幼いコウタに見せ、「もしこのおじいちゃんがコウタのところに来てくれたら、この人についていくんやで。絶対に守ってくれる」と言い聞かせた。涙や声の震えを悟らせないよう必死に伝え、コウタは「うん、わかった」と無邪気に応えた後、山岡氏は無菌室前のトイレで声を殺して泣いた。もしもの時に子が迷わないよう、子の幸せを最優先に祈るほかにできることがなかった、という母親の切断的な心情が語られた。 翌日、残された選択の中で、少しでも副反応を避けられる可能性を考慮し、父親(主人)からの同種移植を決行。拒絶反応を何度も起こしながらも新しい細胞を受け入れ、健常な血液が作れるようになり、2016年の夏、抗がん剤治療・無移植という壮絶な過程を乗り越えて家族のもとに戻ることができた。あれから10年、日々の記憶は鮮明のまま。「小児がんは過酷」であり、深刻な告知のたびに「退院後に元気に暮らせている子はいるか」「普通の子のように外へ出られるようになるか」を問い続けたという。 社会への祈り:骨髄バンクへの理解とドナー休暇制度導入の訴え 移植しか助かる道がない患者が骨髄提供を待ち望む現実の中で、適合者が少ないと言われたとき、道行くすべての人に「骨髄バンクに登録してください」「うちの子を助けてください」と叫びたい衝動に駆られた、と山岡氏は語る。これが経験者が骨髄バンク普及を求めて活動する理由である。多くの協力により身近なドナー登録者は増え、ちょうど1年前、友人の1人が「ドナーに選ばれた」と連絡。彼女は提供を決意し詳細を聞きたいと意気込んだが、翌日、職場で「1週間休んだら誰が仕事をするのか」「見ず知らずの他人のために休む必要があるのか」と詰められ、休暇を認められない現実に泣きながら電話をしてきた。 この問題は個別の職場に限らず、多くの中小企業で1週間の休暇取得が容易でない構造の問題である。骨髄バンクはドナー登録者の母数を増やすことが重要である一方、提供者側が「仕事を休ませてもらえない」ために断念する事例が実際に多く生じている。ドナー側は全身麻酔・入院・骨髄採取というプロセス、家族との調整、被災後の回復など、命を救うための重い責任を理解した上で決意を固めている。彼女は「社長や部長だって、いつ病気になるかわからない。家族が移植を必要とするかもしれない。経営者が病気やバンクを正しく知ってくれたら」と訴えた。 厚生労働省が進める制度として既に「ドナー休暇制度」が存在し、導入済みの企業もある。より多くの企業による制度導入が、社会全体の意識の底上げに不可欠だと山岡氏は強く要請する。入院中、支援は形を問わず、長男の同級生の祖母が大学病院まで弁当を差し入れ「母親のあなたが誰よりも辛いでしょう」と手を包みながら泣いて励ましてくれたことなど、小さな温かさが深い沼から引き上げてくれる力になると述べた。親のできる規模では病院に乗り物を運ぶことも、マラソン大会の主催も難しい。しかし、個人・企業・ライオンズクラブ等さまざまな立場が提供できる規模の支援があり、その積み重ねが過去・現在・未来を救ってきたと締めくくった。